2014年10月8日水曜日

ルイ14世(1638~1715)

フランス絶対主義最盛期の王
ギネスブックにも載っています

1638 生まれる(父:ルイ13世)
1643 フランス王に即位
1648 フロンドの乱
1661 親政の開始
    ヴェルサイユ宮殿の造営開始
1701 スペイン継承戦争
1715 病死

◇5歳でフランス王に
父ルイ13世が41歳で亡くなり、ルイ14世は5歳に満たずに即位することになりました。そのため、後世「太陽王」「朕は国家なり」などの言葉で飾られるルイ14世の王としての出だしは不安定なものでした。幼少の王にかわって政治を行ったのはマザランという人物。この時にフロンドの乱という貴族の反乱がおき、ルイ14世も一時はパリを逃れ、フランス国内を転々としました。しかし、このフロンドの乱のおかげで、王権に対して異をとなえる貴族勢力が弱まり、成人後のルイ14世は絶大な権力を持つことができたのです。

◇「太陽王」ルイ14世
親政をはじめたルイ14世の権力はまさに絶頂。「王権神授説」をとなえ、自らを「神の代理人」としてフランスに君臨しました。このとき、ヴェルサイユ宮殿の建造もはじめています。ヨーロッパ最大の常備軍をもち、領土拡大こそが国王の役目と、数々の戦争をしかけていきます。「南ネーデルラント継承戦争」「オランダ侵略戦争」「ファルツ継承戦争」など、周辺の国の世代交代や空白の領土ができたら積極的に戦争をしかけますが、どうも戦争はうまくありません。若干の領土はもぎ取るにいたるのですが、あまり芳しくない結果が続きます。

◇スペイン継承戦争
そうした侵略戦争の代表がスペイン継承戦争です。孫のフィリップをスペイン王にねじ込もうとしたところ、イギリス・オーストリア・プロイセン・オランダなどから袋叩きにあいます。周囲の国にとってはフランスがスペインを併合することなど、あってはならないからです。その結果、なんとか孫のフィリップをスペイン王にすることには成功するのですが、国としての体力は底をつきかけていました。そこで登場したのが外交上手のイギリスです。ヘトヘトのフランスに脅しをかけ、まんまと植民地をせしめるのです。

◇「最長の在位期間」を持つレコードホルダー
戦争好きの戦争下手、贅沢のしすぎと、後世のルイ14世の評価はあまり高いものではありません。しかし、海外旅行でパリに行くと、なんといってもヴェルサイユ宮殿が我々の目を楽しませてくれますし、太陽王ルイ14世の像に出くわすことも多くあります。「中世以後の国家元首として最長の在位期間を持つ人物」としてギネスブックにも載り、フランスの栄光の時代を築いた、フランス国民にとっての「我らが王」であることは間違いありません。



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